「初日につき、師匠(三遊亭円丈)宅に伺う」と昨日の続き「職業」

 今日は8月1日、です。
 ということは寄席芸人にとっては、初日といって、月に3回ある、とても重要な日、なのです。

 つまり寄席は、旬日毎に番組が変わるシステムを採用しているために、月に3回ある初日(1,11,21日)には、寄席芸人であるわれわれ落語家は原則として、朝、師匠のお宅に伺う決まりになっているのです

 今“決まり”と記しましたが、これは一門(三遊亭や柳家、古今亭のこと)や師匠によって千差万別であって、一概に断定できません。
 ただ、師匠(三遊亭円丈)は、これを尊重し、その弟子は初日の朝10時までには、師匠宅に行くのが決まりとなっているのです。

 しかし、たとえばぼくのように、一応真打ともなりますと、毎月3回の初日全てに顔を出さなくても、せめて大初日(おおしょにち;1日)ぐらいは、師匠がいるんだったら「顔を見せろよ」ほどには、緩いものではありますが、それでも仕事等で行けないのならば兎も角、行けるのであれば、行かないと、師匠の御覚えは確実に、目出度くなくなります。
 「あの野郎、好い気になりやがって」、てなもんです。

 大雑把に言うと、二ツ目になると、二芝居(ふたしばい;20日間)に一度、前座のうちは、毎日、朝師匠宅に行きます。

 では、朝(といっても世間的には昼でしょうが、噺家にとっては早朝)の10時に師匠宅に行くと、弟子は何をするのか。
 先ず、師匠とともに膳を囲んで、師匠と同じ食事を頂く(これも師匠によって、違い、以下同)のです。

 このとき、うちの師匠は殆ど言葉を発しません。粛々と食卓の上のものが、師匠と弟子の胃袋へと収まっていきます。
 せいぜい、20分もあれば食べ終わります。
 師匠が食べ終えるのを待って、弟子一同は、「ご馳走様でした」と発して、各自食器を流しへと持っていきます。
 すると、その場にいる最も身分の低い者(最もキャリアの浅い者)が、総ての食器を洗います。

 ここからが、初日のメインイベントとなります。

 つまり、師匠がここで初めて、その日の議題(?)といってもいいような言葉を発することによって、その日の話題が決まります。
 今日は、先日(7月23日)の地震以降、庭の池で飼っていた鯉(伊勢丹で購入の由)がおかしくなり、とうとう死んじゃった、ということから始まり、9月に落語協会に新たに誕生する5人の真打の芸名の話題、前座たん丈の間抜けぶり、引き出物の代わりにカタログを利用する場合のその不具合(たとえば、ホテルへ宿泊するときには、土曜日は利用不可。よって、サバティーニでの食事を利用することになりそう)といった具合。

 なお、そのサバティーニの食事は旨いですよ、とぼくが言ったところ、師匠が「お前は、色んなところを、食べ歩いているのか」「それほどでもありませんよ。そもそもサバティーニで食事をしたのも、手銭(自らのお金)じゃありませんから」「お前、それはネタになるぞ」といった具合に、飽くまでも落語から離れない、師匠なのです。

 この後、弟子に稽古をつける場合もあれば、あるいは小言の嵐となる場合もあり、どうなるかは弟子には分かりません。

 **『少し昨日の「職業」の続きを記しましょう』
 昨日は職業について、ちょいと辛目の意見を紹介しましたが、たとえば、ぼくは落語家ですから、典型的な自由業ということになりますが、自由業の場合改めて言うまでもありませんが、会社員や公務員のように、組織の一員として働ける人と、そうでない人がいます。

 ぼくは、組織の一員として働くのが無理なので、落語家になったようなものですが、周りを見渡すと「こいつは会社員になったほうが出世するんじゃないか」と思わせる芸人に、偶に出会うことがあります。
 でも、こういう場合たいていは、その人の落語はきっちりとしていても、彼の落語にぼくはあまり魅力を感じないのです。
 そして、そう思うのは、なにもぼくばかりとは限らないはずです。