「大学にみる官民格差」

 ぼくは、今年の4月から、立教の文学部、経済学部に次いで、3度目の大学生生活を早稲田で送るようになりました。

 1981年立教の文学部を卒業した頃は、聞いたこともありませんでしたが、2000年に立教経済学部に入学した頃は、すでにどの大学も、オープンキャンパスを開いており、今年はいよいよ東大も受験生用のパンフレットを作ったことが、話題に上がっています。

 これは、少子時代を迎えいよいよ、大学の定員と入学志望者が同じ数になる2007年問題の故です。

 夏休み期間中にどの大学も、さかんにオープンキャンパスを開き、受験生の囲い込み運動を行っていますし、電車に乗れば、沿線の大学の広告がない車輌はなく、野球場の塀には大学の広告が結構出ています。

 オープンキャンパスに参加せずとも、大学の前を通れば、時間に余裕がある限り、構内に足を踏み入れるようにしていますから、よく知っているのですが、キャンパスの敷地面積における官民較差は、すさまじいばかりです。
 東大の本郷と駒場のキャンパスを見た後で、私大のそれに目を転じれば、マンモス大学の早大といえども、その狭隘なキャンパスに息が詰まる思いがします。

 このオープンキャンパスによって、初めて大学を目の当たりにする高校生は、その官民較差に愕然とさせられるのではないでしょうか。

 けだし、漱石の『三四郎』は、東大の本郷校地に池(今の三四郎池)があったから成立したのであって、私大のキャンパスでは成立しない物語です

 その証拠に、日本のカルチェラタン、神田にはいまでも多くの私立大学がありますが、校庭らしい校庭がある大学は皆無です。

 そして、敷地に見る、官民較差はもちろん、大学に留まらず、たとえば、鉄道をみても、以前の国鉄、現在のJRと私鉄では、その施設において、大きな懸隔があります。

 あるいは、今話題の郵政の官民格差も、甚だしいものがあります。
 後発である民間も信書以外の郵便事業をしても構わないが、それには、私設でポストを作りなさい、といった具合に。

 この民に較べての官の優位は、大学を例に取れば、そこに、税金が投入されたからこそ、あれほど、広大をキャンパスを維持できているのです。

 私立の法政大学の総長が、私立大学の学生は(旧)国立大学の学生に較べて、3分の1の経費で学修環境を整えることができる旨の発言をしていましたが、民営の場合、それは当然のことでしょう。

 このように、日本は明治以来一貫して、官に多くのおカネが流れており、そこでは市場経済機能はほとんどの場合、働いていませんでした。
 大幅な財政赤字を抱えた今日の日本では、最早、官への無造作な税金の移転は認められません。
 その一環で、小泉首相郵政民営化に取り組んでいるのです。