「俳句」と「癒しのとき」
二ツ目の頃から、真打に昇進したら落語以外で、以前から興味があった好きなことを始めようと、思い定めていました。
平成8年に真打に昇進し、昇進披露を終えた翌月の5月からぼくは、カトリック教会に通うようになり、翌年の復活祭の当日に浅草教会で、澤田和夫神父の司式により洗礼を受けました。
その年の秋からは、立教文学部の須川洋子先輩が主宰する「立教レディス俳句会」に参加するようになり、翌年からは、同じ須川先生が主宰し、洗足会館で開かれる「芙蓉俳句会」にも参加しました。
そこで作った俳句は『季刊芙蓉』に載り、らん丈HPの「らん丈全俳句」に掲示しています。
その最新刊が今日、届きました。『季刊芙蓉』第65号がそれです。
- 年取れば皆同じ顔になる春
- 花びらを掌で受け入学す
- 視力検査待つ間桜見つむ
- 柏餅ごく丁寧に葉を剥がし
- 我だけで博物館占める梅雨入
- 夏みかん皮むき終えて食う気失せ
- ささくれし歯ブラシ使う梅雨の入
『季刊芙蓉』では、毎年秋号において、短文を添えて掲示する決まりがあります。
今年の短文のテーマは、「癒しのとき」200字でした。それも、下に掲示します。
ぼくはカトリック教徒なのでこんな場合、キリスト教会でお祈りを捧げているときと書けば、体裁はいいのですが、生憎と然(さ)にあらず、惰眠を貪っているときは、意識がないので自覚できず、好きな本を誰にも煩わされることもなく、ジャズを聴きながら明日のことを思い煩うこともなく、コーヒーを啜りながら読んでいるときです。ただ、その時間は、未明時分ほんの稀にしか得ることは出来ません。なぜならば、眠くなってしまうからです。
駄句駄文にて、失礼しました。