「東京都・町田市合同総合防災訓練」に消防団員として、参加

 9月1日は防災の日ですが、今年は町田市において東京都と合同で、総合防災訓練が実施され、東京都・町田市職員、消防・警察関係者や市民ら約2万5600人(9月2日朝日新聞)が参加し、町田市消防団員の端くれとして、ぼくも参加したのでした

 防災訓練は、町田市内5会場、7ヶ所で行われましたが、ぼくはそのうちの、町田駅周辺会場に参加しました。

 訓練は午前9時開始でしたが、消防団員は各詰所に7時に集合し、その後、揃って分団の拠点に向い、そして、分団一同、参加会場へと向かったのです。

 ぼくが所属する、町田市消防団第1分団第3部が課せられた任務は、避難訓練に伴うけが人の担架での搬送でした。

 そこでぼくは、つくづく思い知らされたのです。
 現場の者は、目に見える範囲内のことしか事態が把握できない、ということを。

 それは、そうです。
 無線機は、部長クラスならば兎も角、ぼくのような末端団員にはその手当てがないので、無線情報は、部長を通じてしか入手ができないために、勢い、可視できるものしか、情報源はありません。

 そうすると、消防団員の制服を着用しているのだから、なにか情報はないか、と市民の方に尋ねられても、お答えのしようがないわけです。
 つまり、把握している情報量は、そこにいる市民と同等なのですから。

 混乱時、たとえば、不通になった電車路線での駅員の対応が余りに不親切なために、怒りを爆発させている乗客を見かけることがあります。
 駅員の肩を持つわけではありませんが、駅員にしろ、情報がなければ、なんとも答えようがないのだな、と再認識させられたのです。

 あるいは、たとえば、1995年のオウム真理教教団による地下鉄サリン事件のとき、現場の方には、事件の全貌はとても分からず、それは、テレビを見ていた視聴者の方がよほど、全体像を把握していたことと、軌を一にします。

 ただ、その場合もそうですが、現場にいないと、その実態は決して体感出来ないものでもあるのです