「自主男女共生学級&まちだ市民大学&句会」

 昨日は午前10時から正午まで、まちだ中央公民館が開設している「自主男女共生学級」の“近代文学と女男の生き方”に参加してきました。
 この学級は、講師に駒澤大学文学部国文学科の高田知波教授を迎え、毎月第2と第4の火曜日の午前中に集まり、近代文学における小説を俎上にして、毎月1冊のテキストを巡りジェンダーについての意見を交わす、というものです。
 今月は、正宗白鳥の「泥人形」がその教材でした。

 橋本治文学賞の選考委員を勤めないそうです。それは、好きではない文学作品を読むのは、大いなる苦痛だから、だそうですが、ぼくにとってもこの「泥人形」を読む行為は、拷問を受けているかのような苦痛を伴う作業でした。

近代文学と女男の生き方”という学級名ですが、これは手前味噌ながらぼくの発案でした。“男女”と固定化して考えるのは、そもそもジェンダーではないか、という発想によるものです。

 午後は、まちだ市民大学HATS「まちだの福祉」(福音の家コース)を昨年受講した修了生仲間でつくった、ボランティアグループ「かよう会」の活動で、町田市野津田町にある特別養護老人ホーム〈福音の家〉に行ってきました。

 この「かよう会」とは、活動日が火曜日で、なおかつ〈福音の家〉に通うので、「かよう」会としたのですが、昨日は、10月に行なわれる町田市の風船バレー大会のための練習のお手伝いでした。
 「かよう会」の活動は、いうまでもなく無償ボランティアであって、交通費も一切出ない、文字通りの手弁当です。
 参加者は、少しでもお役に立てるのであれば、という篤志からのもので、これからは“共助の時代”といわれていますから、それに相応しい活動であると、自負しています。
 口ばっかり、不満ばっかりで、不都合の解消はすべて行政任せにして、自分は一切何もしない、という方はよもや世の中にはいらっしゃらないでしょうが、もしも今でもそういう方がいらっしゃるのであれば、この会は、それとは対極的な存在といってもよいかと思います。

 今日は、午後は句会に参加しました。
 「句会あかしあ」といいまして、13〜4人のこじんまりとしてはいますが、だからこそ、親愛の情を醸すのにはちょうどよい人数の句会であり、事実とても親和的な句会で、ぼくはこの句会に参加するのが大好きです。
 兼題は「秋の虫」と「新蕎麦」で、5句出句でした。ちなみに、ぼくの駄句は、下記のものです。

  新蕎麦に誘(いざな)われ暖簾を潜る
  訛りつつ東京語る女学生の夏
  自転車を立ち漕ぎし野分に向かう

 こんなところで、ご勘弁を。