「HATS平和学研究会」
昨日は、「HATS平和学研究会」に参加し、担当者としてコーディネーターを勤めてきました。
「HATS平和学研究会」とは、昨日も記した、まちだ市民大学HATSでの「まちだ市民国際学」(2002年度後期)の、修了生の有志によって作られた勉強会です。
2002年度後期の「まちだ市民国際学」は、講師がなかなか豪華なものでした。東大の藤原帰一教授や絵本作家の葉祥明さん、NPO法人ピースデポの川崎哲事務局長といった具合に、市民講座にはもったいないような方々が、講師に名を連ねていました。
その「まちだ市民国際学」の修了生が、自分たちで勉強の場を存続させるために作ったのが、この「HATS平和学研究会」なのです。
今年度は、近・現代史の勉強をしようというので、高校の「日本史A」の教科書(山川出版社)をテキストに、毎月ひとりのレポーターが一単元ごとに発表をしており、今月の担当者が私、らん丈だったのでした。
担当は、“明治維新”でした。そこで私は、中村哲が「明治維新の歴史叙述としてはね、やはり現在でも最高で、総合的歴史叙述としてはこの遠山さんと井上さんのものにおよぶものは現在でていない」(1969年3月刊行の『シンポジウム日本歴史15 明治維新』(学生社)と言及している、井上清の『日本現代史 第一巻 明治維新』(東京大学出版会)の重要箇所をプリントしたものを参考に、コーディネーターを勤めました。
ちなみに、上記中村哲の発言にある、遠山さんのものとは、遠山茂樹『明治維新』(岩波書店)のことを指します。
そこで話題になったのが、天皇制でした。
詩人の宗左近が、著書『詩(うた)のささげもの』(新潮社)で、こう記している箇所があります。
60年前の3月、ある出陣学徒の歓送会が催された。何かのはずみで激論が始まった。
「きみ、それでも日本人か」と食ってかかったのは橋川文三らで「いや、まず人間だよ」とかわしたのは白井健三郎だ。
「まず人間とは、何だい。ぼくたち、まず日本人じゃあないか」「違うねぇ、どこの国民でも、まず人間だよ」
なるほど、ぼくも、白井健三郎の立場ですね。
上野千鶴子(東大教授)が、朝日新聞8月17日の夕刊でこのように、指摘しています。
“いまや保守派のなかからさえ、「天皇抜きのナショナリズム」が台頭している。日本のナショナリズムが成熟しているとするなら、もはや天皇に依存する必要はなかろう。”
まさに、上野の言うとおりだと、ぼくも思います。