「ノーマ・フィールド(シカゴ大教授)と鷲田清一(阪大教授)の対

 朝日新聞2005年10月27日に掲載された対談記事ですから、いささか旧聞に属しますが、御寛恕下さい。
 目に付いた箇所を以下に、いくつか、抜書きしてみましょう。

 フィールド「日本でバブルがはじけたと言われても、なかなか目にはそう映らなかった。ただ、お金がないことが常識とされて、予算を削減するとか、自己責任でやらなきゃならないとか、バブル崩壊はそれを納得させる装置だったのかと思います

 フィールド「戦後日本でうらやましかったのは、公教育や医療の水準が高く、誰でも受けられたこと。(中略)軍隊に入って、人を殺さないでも高等教育が受けられるという、アメリカとは違った社会を築くことができた。
 ところが、あれだけ悲惨な敗戦があり、戦前戦中の価値観を問い返したはずなのに、それを簡単に手放していった。切ないというより、信じがたい感じです。このまま憲法9条も手放してしまうのだろうか」

 鷲田(阪大大学院文学研究科臨床哲学専攻教授)「実をいうと、哲学書は最初は一割もわからない。『パンセ』やニーチェは、今でも半分わかるかなという程度。でも暗記したくなる文章がある

 鷲田「調停では、この人とはもう話すことがない、絶対分かり合えない、と両者が絶望した時から理解は始まる。解決策はないと断念したところからしか、相手はどういう思いなのかっていう想像力は出てこないと」

 上記のように、鷲田清一は、阪大の哲学教授ですが、それでもニーチェは半分しか分からないと言う。

 ならば、ぼくがニーチェを分からなくても、あったりまえですね。
 安心しました。