「大学の講義と同調圧力に弱い日本人」

 今日で、合計8科目の2005年度後期試験が終わりました。

 そこで、つくづく思いました。
 たとえば、経済学ならば、「ミクロ経済学」や「マクロ経済学」であれば、そこで扱う単元は、だれが担当してもさほど変わりません。
 マクロ経済学ならば、GDP決定のメカニズムやIS-LM分析、三面等価、乗数理論、利子率などは、どの先生も必ず抑えるでしょう。
 あるいは、「憲法」であれば、統治機構論や私人間効力など人権について扱わないことには、その講義は成立しません。

 ところが、それ以外、たとえば、「映像論」という講義がありますが、先生によって扱うものは全く異なったものになります。
 「だからなんだ」と言われても困るのですが、大学によって同じ科目名でもかくも異なるものだと、早稲田に来て、つくづく思い知らされた1年でした

 東海大学の加藤俊一教授(細胞移植)によれば、治療のために自身の骨髄などを提供した人のうち、未成年者の約1割が、「本当は嫌だった」と感じているとの研究結果を、発表しました。

 提供相手は兄弟姉妹。親から提供を求められ、116人のうち11人が、「説明後、本当は嫌だったけど、嫌と言えなかった」と回答しています。
 たしかに、「嫌だ」とはっきり言うのはかなり難しいでしょうが、こういう場合、西欧ならば嫌だったら嫌と決然と拒否するのでしょうか。