「民族国家と国民国家」

 6月8日の朝日新聞にあった、樋口陽一(元東大教授)と山室信一(京大教授)の対談に触発されて、今日の日記を記します。

 それは、「国家とは何か」と題された対談です。
 樋口が指摘するのは、下記のことです。
 人々が約束を取り結んで国家をつくるというフィクションで説明されるのが国民国家で、人々の意思で意識的に維持しないといけない。これに対し、単数の民族や血のつながりで国をまとめようとするのが民族国家。自分たちがその一員だと安心できるため、つい引きずられがちになる。
 (中略)あいまいに「国」という言葉が使われるが、いずれの国家を意味するのか、立ち戻って考えるべきだ。

 上記の国民国家とは、stateのことであり、法と制度からなる国であって、国民が論理にもとづいて造る組織であり、民族国家とは、nationのことであり、人間が生まれつき帰属する国であり、無意識の共感で結ばれた集団です。

 つまり、近代国家とは、nationをstateの手法で強化して、国民の団結を固めたのです。

 山崎正和は記す。
 “私の望んだ国の姿は、ネーションを誇るのではなくともに哀しみ、しかしその運命を引き受ける国民の国であった。それでこそ今後の日本は国際社会のなかで、懸念を招くことなく行動する平和主義を貫けると思うからである。”(朝日新聞2003年8月7日)

 蓋し、至言である。