「『まちだ市民環境講座−生活と安全−』に参加」
9月16日から始まった、『まちだ市民環境講座−生活と安全−』の第2回目となる講義に昨日、受講生として参加しました。
第2回の講義は、「水俣による環境汚染」というタイトルであり、講師は和光大学人間関係学部(2007年度以降「現代人間学部」に再編成)の最首悟教授でした。
最首悟とは、和光大学教授というよりも、全共闘運動の活動家として余りにも有名な、あの最首悟です。⇒http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E9%A6%96%E6%82%9F
講義のタイトルは「水俣にみる環境汚染」でしたが、オギュスタン・ベルグの風景論から、講義は始まりました。
つまり、日本は明治以降近代国家の体裁は整えたが、さてそれは、西欧のそれとは余りにも異質だというのです。
次に、ローレンス・コールバーグの言葉、人間と自然とを峻厳に分かつことが出来るのは、12歳以上の人間の知能を以てする。
ここから、戦後マッカーサーが日本に上陸して発した、「民主主義において、まだ日本人は小学生に過ぎない」という言葉に派生した、ということを今回初めて知りました。
さて、肝心の水俣です。
水俣の問題は、単に加害者である「チッソ」にのみ責任がある、という構造ではないところに問題の根がある、ということを最首先生により再認識させられました。
宇井純は、水俣に第3者はおらず、被害者と加害者がいるのみ、と指摘しましたが、水俣の厄介なところは、被害者である市民は実は、近代合理社会の一員を構成することによって、加害者でもある、この視点を昨日の最首先生の講義で得ることができました。