「とんでも名誉教授と地域交通安全活動推進委員協議会」
今日は、神奈川県西ブロック『地域交通安全活動推進委員協議会』にて講演をさせていただきました。
小田急線の新松田駅で降りて会場へと向かったのですが、不思議なのは、新松田駅前になぜか、かなり前から『マニラ食堂』という名前の中華と和食の食堂があるのです。
ご主人が戦争中、マニラに出征したのかしら。
新松田駅前の『マニラ食堂』以上に驚かされたのが、11月2日にまちだ中央公民館で開かれた講演会でした。
ジェンダーに関する講演会で、講師は、東京芸術大学を卒業後、国立大学法人C大学で永らく西洋美術史の教授を勤め、現在は同大学名誉教授のM.W.さんです。
Wさんは、講演のなかで、江戸幕府が鎖国を布いたのは、西洋から民主主義が流入するのを防ぐため、だとおっしゃったのです。
そこで、ぼくは質疑のときに、名誉革命やフランス革命が起こる前の17世紀半ばまでに、鎖国は実現したのですから、その当時の江戸幕府が考えていた民主主義とは、アテネの民主制のことでしょうが、ではいったい幕閣のだれがアテネの民主政体のことを知っていたのか、と質すと、『たしかに、名誉革命もフランス革命も未だ起こってはいませんでした。実は、鎖国は天皇制を守るために江戸幕府が行ったのです』と前言を翻したのでした。
これには、驚愕させられました。
いうまでもなく、天皇制は、鎖国していた江戸時代よりも、開国後の明治になって強化されたのです。
むしろ、鎖国したことによって天皇は、庶民から忘れ去られてしまったのです。
つまり、鎖国さえしなければ、天皇はより強い力を持ち得たのにもかかわらず、Wさんは、『天皇制を存続させるために、江戸幕府は鎖国した』とおっしゃったのです。
そもそも、江戸幕府がどうして天皇制を守ろうとするのでしょうか。
世の中には摩訶不思議なことを考える方がいらっしゃるものだと、再認識させられました。