「石原千秋『大学生の論文執筆法』」
今回の行政視察に持参した本の一冊に、石原千秋(早大教育・総合科学学術院)教授著『大学生の論文執筆法』(ちくま新書)があります。
それはぼくが正しく、大学生でもあるので、持参した次第なのです。
さすが、今をときめく石原教授だけのことはあり、簡にして要を得た記述によって、世界の一隅を抉る文言をいくつも散見します。
百聞は一見に如かず、いくつか引いてみましょう。
“ニューアカデミズムの旗手たちは、それまで西洋的知性の根拠となっていた「精神」重視の発想を、「身体」重視の発想に転換して見せた。”
“日本人は「公」は「お上」任せだからだと言うのだ。そこで、「公」ごとは他人任せとなって、「家の外に一歩出」てもそこが「公」の空間であるという認識が生まれず、「私」がとめどなく「公」空間にはみ出して来るのが日本だ”
“一見軽く書き流したように見えて、その実ずっしりと重いエッセイの方法を確認しておこう。それは、文字通りたった一つである。自己と他者との間の線を取り払うことで他者を内面化すること、ただそれだけだ。”
白眉は、次の文言です。
“近代ではもはや人間は世界の主人公ではあり得ないとする、ミシェル・フーコーの思想と遠く響き合うところがあった。”
なるほど、フーコーを一言でいうと、上記のような文言になるのかもしれません。
なお、フーコーについては、「らん読日記」にレビューがございますので、よかったら、ご覧下さい。⇒http://www.ranjo.jp/cgis/randoku/data/1161312358.html