「本日、町田市庁舎特別委員会&最後のゼミ」

 午後1時から、市庁舎5階の第1委員会室にて、昨年新庁舎の設計を契約した、槇総合計画事務所と懇談会を開きます。
 ちなみに、設計者の槙文彦さんは、世界的に著名な設計家でして、ニューヨークのグラウンドゼロに建てるビルのひとつを設計することが決まっています。

 同委員会閉会後、早大に向かい、履修しているゼミナール「地方自治と行政」の、最後の授業に参加しました。
 担当は、大久保皓生先生で、同先生は早大OBです。
 今日提出した、「卒業にあたって」というレポートを掲示します。

大久保ゼミナール〓「卒業にあたって」
 大学を卒業するといっても、3度目、48歳ともなれば、ことさらなる感慨が湧くわけもなく、とくに記すことはありませんが、視点を変えて、ぼくが文学部と経済学部であわせて6年間学んだ立教と早稲田の違いについて記すことで、本レポートの内容とさせていただきます。
 それは、立教と早稲田の校風の違いをレポートするのではなく、1991年の大学設置基準の大綱化、つまり大学設置基準の大幅緩和の前と後とで変化した大学の姿を、学生の立場から考えてみたいのです。

1、第1期(1977〜1981年)立教大学文学部時代(大学設置基準の大綱化以前)
立教で学んだのは、ぼくが18歳から22歳まで、1977〜1981年の文学部、41歳から43歳まで、2000〜2002年までの経済学部をあわせて6年間でした。この項ではその文学部時代の学生生活を振り返ってみましょう。

 1977年に大学に入学した当時、学生運動がさほど活発でなかったといわれる立教の構内でもまだ、中核派のヘルメット姿の学生を少ないながらも見かけたものです。
 ここにおいて、1968〜69年前後を頂点とする大学紛争の余燼が、立教でもまだいくらかは燻ぶっていたのを実感したものです。

 学生紛争によって大学は学生から、象牙の塔に閉じこもることを厳しく指弾され、教員はそれを受けてカリキュラムの改定を余儀なくされました。
 それが、立教では必修科目の大幅減とそれに呼応しての、科目履修の弾力化、学科を超えて文学部全体で設置した集中講義の実施等が進められました。

 その結果、学生は必修科目の履修にとらわれることなく、自由に自分の興味や進路にあわせての科目登録が可能となったのです。

2、第2期(2000年〜)立教大学経済学部&早稲田大学(大学設置基準の大綱化以後)
 現在在籍する早大社会科学部において2002年度入学者から実施されたものに、外国書研究の必修が外されたことが挙げられます。
 また、大綱化以前には各学部に義務付けられていた、第二外国語の履修も大綱化以後社会科学部では、選択科目となっています。
 それと並んで、卒業に要する修得単位数の削減も、大学大綱化が実施されたことによる、小さくはない変化でした。
 その結果多くの大学学部で、卒業に要する修得単位数を、文科省の最低基準である124単位に縮減しました。
 つまり、必修科目の削減と科目登録の自由化の促進(学部を越境して修得した単位が卒業単位に認定されること等)、修得単位数の縮減により、学生にとっては、大学での科目登録の自由性が高まりましたが、これは逆に言えば、その学部を卒業したことによる学力の最低保証が拡散化したことを意味します。

 極端なことをいえば、源氏物語森鴎外を読むことなく文学部日本文学科を卒業できたり、ケインズはもちろんアダム・スミスも知らないで経済学部を卒業するようなケースが、出てきているのです。
 これらは極端な例ですが、カリキュラムの弾力化の行き着いた先は、学部のレゾンデートルを危うくするほどの基礎学力の低下です。

3、大学全入時代を迎えて
大学審議会が1996年に試算した予測によれば、2009年度の入試から日本では、大学の定員と受験生が数字上は一致するそうです。(旺文社教育情報センターが2002年に試算してもやはり2009年度)

 上記のような、基礎学力が身につかないまま学生を卒業させる大学が増えていることは、カリキュラムの弾力化のみにその責を負わせることは、じつは出来ないのです。
 なぜならば、学部の新設や増設で毎年大学の定員は増え続け、人口の減少により受験生は減り続けるのですから、畢竟大学は極端に大衆化されたために、以前ならば想定できないほど劣った学力の学生といえども、大学は受け容れなければならず、とても専門教育どころではないのです。

 また、何人といえども向学心ある者から就学の機会を奪う権利はないために、この傾向を非難することも当然ながら出来かねます。
 その結果、日本の大学も、今後米国のように、次のような3つに大別されるようになるものと思われます。
1、「競争選抜型」
 従来通り、受験勉強をしなければ合格が覚束ない大学。
2、「資格入学型」
 一定の学力を備えていれば入学できる大学。
3、「開放入学型」
 事実上、高校卒業かそれに準ずる資格さえあれば誰でも入学可能な大学。

 この結果、国公立大学に一部の私大が加わる競争選抜型は少数の大学に留まり、多くは資格入学型へと移行し、定員割れの私大は開放入学型になることを余儀なくされるでしょう。
 そのような開放入学型の大学は、米国にも多々見られます。
 たとえば、朝日新聞(2003年1月3日)の記事によりますが、ニュージャージー州立キーン大学では、1年生の必修科目で、ストレス解消法や人間関係の築き方、果ては安全なセックスの仕方まで指導しているそうです。

4、これからの大学で望まれる教育
 いずれこのような授業を展開する大学が、日本でも出てくることでしょう。
 では、そのとき、大学が教育上最も留意しなければいけないことはなんでしょう。
 ぼくは、学生に学習での達成感を味わわせることだと思います。

 おそらく、開放入学型の大学に入学する学生の多くは、勉強による達成感を味わうことなく高校卒業までの勉学生活を送ったのではないでしょうか。
 学習において、学生に達成感を体験させれば、学習を嫌忌する態度が改まり、それが自ら進んで学習する態度を涵養させることになると、ぼくは思うのです。
 また、達成感を味わうことで、多くの学生は自己肯定感を抱くようになるでしょう。
「なんだ、おれだってやればできるじゃん」という思いを抱くことが、これからの人生を生きていくうえでいかに大切か、です。
 すると、自分に自信が持てるようになり、積極性を持って生きることができるようになるのではないでしょうか。
 これは、詰め込み教育では決して達成することのできない教育の成果です。
 また、ゆとり教育でも達成できません。
 これからは、詰め込みでもゆとりでもなく、全人教育こそが求められる教育スタイルなのではないでしょうか。

 全人教育で肝要なのは、個々人は皆違うのですから、それぞれ何が好きで、何が嫌いなのかを自覚させることです。
 それを自覚すれば、自ずと社会に出たとき、どんな職業に就くのが自分に相応しいのかが理解できるようになるのです。
 いまのままでは、偏差値で大学を選び、就職活動では評判と規模で会社を決め、入社したものの、結局その会社での仕事がそぐわなく中途退社を余儀なくされる社員を生産することが、“教育”なのだといった日本の風潮を、助長させるだけなのではないでしょうか。
 ぼくは、落語家であり、現在議員でもありますが、将来は教育に携わることができれば、望外の喜びとするところです。