「ゆとり教育」
ゆとり教育の功罪については、いまや圧倒的にその“罪”について論じるのが、主流となった感があります。
加藤周一が、朝日新聞に連載している「夕陽妄語」の今月分(7月21日)で、こう記しています。
“ゆとり教育と称して、教科書を薄くしたり、授業時間を短くしたりすれば、――小・中・高のどの水準でも、教科書の文章は濃縮され、同じ内容の記述が短くなる、子どもたちにとってそれを理解するのはより困難になるだろう。授業についても同じ。授業時間が少なくなれば、同じ内容の説明はよりむずかしくなるのが、当然の結果である。
内容の省略は、多かれ少なかれ体系的な知識については容易ではない。教科書の記述も、教壇での指導もよりむずかしくなるし、学習する側のゆとりが生じるというのは、不思議な空想であろう。”
たしかに、いくら教科書を薄くしたからといって、歴史で扱う時代がなくなる、あるいは減少するわけではないのです。