「『座右の名文』」
議員になって、予算書を始めとする公文書を読まなくては、いけなくなりました。
年間でざっとその厚さは、1mにはなりましょうか。
そられの文書は、文学的感興を呼び起こし、読んで感動する、というものとは対極に位置します。
すると、遠藤周作がいう、読んで“おいしい作品”を無性に読みたくなるものです。
ぼくがいま一番贔屓にしているのは、高島俊男さんです。
その高島さんが選んだ、“十人の文章家”が下記の方々です。
新井白石、本居宣長、森鴎外、内藤湖南、夏目漱石、幸田露伴、津田左右吉、柳田國男、寺田寅彦、斎藤茂吉。
この十人は、みな学者です。
高島俊男がいうように、“いつの時代でも、学問の根柢ある人の書いたものはおもしろい。よほどの天才は別にして、学問のない者の文章は底が浅くてあきがくる。”
本居宣長の項で、高島はこう記す。
“日本人はずっとむかしからいまにいたるまで、「価値あるものは日本のそとにある」と考えている。”