「竹内洋『大学という病』」

 中公叢書にある、竹内洋の『大学という病』を読みました。
 以下は、その感想です。

 本書は、教育社会学を専攻する、竹内洋京都大学名誉教授)による、第13代東大総長平賀譲によって粛学を断行された、東京帝国大学経済学部の紛擾を描いたもので、それは、近代日本の大学史研究の中では必ずふれられる定番のテーマとなっている題材です。
 初出は、「大学という病」というタイトルで、『中央公論』2001年1月〜8月号に連載されたものです。

 大学設置基準等の大綱化、国公立大学独立行政法人化、大学入学の全入化を目前に控えての大学入試等、日本の大学も、日本経済の制度改革と軌を一にするかのように、その制度設計を大幅に変革している真っ最中です。
 ただ、その理念の多くは、学生消費者主義に呼応する学生サービスの拡充であって、改革は多くの場合、組織(大学・学部・学科)のサバイバルや拡張のためのものになりやすい傾向が見えます。

 本書は、東大経済学部の河合栄治郎、土方成美、大内兵衛を軸に、東大の教授、助教授、講師、助手がどう動いたのかを描いていますが、竹内は大学人の生態を、“大学教授の仕事は研究室や教室という独立王国の中でおこなわれる。日常的なコミュニケーションの必要と機会が少ない。にもかかわらず人事は選挙だからたえず同僚間の票読みをしなければならない。自分にかかわる人事であれば、票固めもしなければならない。誰が賛成したか、白票を投じたかは無記名投票だからわからない。疑心暗鬼が生まれやすい。陰謀(集団)の存在も「妄」築されやすい。
 学者という、いささか偏屈な、ということは思い込みの強いキャラクターともあいまって、大学は派閥菌繁殖の温床なのである。”と、記しています。

 また、竹内は、“学問以外の方法で、即ち互ひに派閥を組んで、いゝ地位を争ふことになる。即ち、近頃の学校騒動は、家庭争議であると同時に、またスポーツでもあるんである”という木下半治「大学の挽歌」『中央公論昭和11年4月号の文章を引いています。

 たしかに、いつの時代でも組織には派閥ができ、大学もその例外ではない、どころか、その典型例であることを竹内は、描き出しています。

 ただ、本書の本旨が平田粛学にないとはいえ、その描き方が、そこに至る道への記述が詳細にわたっているのに較べ、少し説明不足だった観は否めず、一方の主役、大森義太郎の描き方も、中途半端に終わった憾みが残ります。
 また、これは文庫では、訂正されているでしょうが、「喧々諤々」という記述には驚いたものです。
 もちろんこれは、喧々囂々、侃々諤々、の混同による誤用であって、こんな日本語はありません。

 本書では、丸山眞男が頻出しますが、その師「南原繁追悼講演会」(昭和49年11月6日)における丸山眞男の描き方には、感動をそそられました。