「『早稲田の底力』」
ぼくが属する町田稲門会会報に寄稿したエッセイを、ここに転載させていただきます。
よかったら、ご覧下さい。
『早稲田の底力』
私は三遊亭らん丈と申しまして、芸名をご覧になればお分かりの通り、落語家です。こんな名前のお相撲さんは、いません。
今年(2007年)、社学を卒業したばかりなので、当会では末席を汚すことになりましたので、どうぞこれをご縁に、末永くよろしくお願いいたします。
さて、わたしと早稲田とのご縁は、2001年に遡ります。
その年から、学習院、学習院女子、日本女子、立教、早稲田の5大学が単位互換協定を結びまして、f−Campusを運用し始めました。
この制度の御蔭で、上記5大学の学生は、いずれの大学の講義でも受講できるようになったのです。
当時、立教経済学部の4年生だった私は、こうして早稲田の文学部で「俳諧」の講義を、受講することができるようになったのです。
念願かない早稲田の、しかも文学部の講義を初めて受講し、ぼくはカルチャーショックを受けたのでした。
それを一言で言えば、早稲田の学問に対する底力を見せつけられたでもいえましょうか。
学問に対する真摯な姿勢が立教とはまるで、違うのです。
何でもJARといって、上智、青学、立教の女子学生は、身だしなみに異様とも思えるほどの熱意を以て日々精進するのに較べて、早稲田の女子学生は、“早稲女”といってその対極に位置すると聞いてはいたものの、それを文学部がある戸山キャンパスに通うことで、実感をもって痛感させられたのです。
立教と早稲田とは、山手線ならば、たったの二駅しか離れておらず、指呼の間といっても好いかと思われますが、その女子学生はまったくもって、別世界の生き物のごとくに、私の目には映ったのでした。
なるほど、このような女子学生であれば、男子学生は、心を迷わせることなく勉学一筋に邁進することができようというものです。
こうして早稲田は、男子学生にとって、学問に専念できる環境を整えてくれるものですから、私は、今年から早稲田の大学院に通うことになってしまいました。