「「明治憲法の光と影」」

 『本』(講談社)に、瀧井一博(国際日本文化研究センター准教授)が「明治国家をつくった人びと」を連載していますが、その29(12月号)では、穂積八束が採り上げられています。

 それによると、穂積がドイツから最先端の憲法理論を引っさげて帰国したのは、明治憲法が発布されたころのこと。
 そこでおこなわれた穂積による講演は、憲法のさらに上にある主権者たる天皇の意思を強調したものだったそうですが、この講演に官学アカデミズムが批判した。

 帝国大学を頂点とした官学アカデミズムでは、強大な君主権力を正当化するような天皇主権説はむしろ劣勢に立たされていたそうです。
 憲法ができたからには君主の権力は制約されるという天皇機関説が圧倒的に支持され、国民の政治参加を尊重する立憲主義の浸透がみられたというのです。

 すると、明治国家は意外にも結構リベラルな政体だった時期もあったのですね。