「立川談志師匠の思い出」
落語界の至宝、立川談志師匠が御逝去なさいましたが、75歳とは、早すぎるというのが、ぼくに限らず、ほとんどすべての噺家が抱いた思いでしょう。
ぼくがまだ前座になって間もない昭和58年のことでした。談志師匠のお弟子さん、立川左談次師匠の真打昇進披露を横浜スカイホール寄席で執り行う際に、ぼくに前座のお鉢が廻ってきたのです。
真打昇進披露口上が滞りなく行われ、仲入りにするため、前座のぼくは仲入り太鼓を叩いたのですが、それをぼくはセコク叩いてしまったのです。
それを見逃す談志師匠ではありません。すかさず、「お前は、だれの弟子だ。明日詫びに来い」とのお言葉をいただきました。
早速、翌朝師匠円丈の許にそのことを報告し、その足で、練馬の談志師匠宅にお詫びに伺いました。
談志師匠と二人っきりです。さぞや凄まじい剣幕で怒られるものとびくびくしていると、あにはからんや、談志師匠は、怒らないのです。
どうなったか。
おれに質問しろと、いうのです。さぁ大変です。これで、なにも質問しなければ、「馬鹿」といわれるのは、火を見るよりも明らかです。ぼくは、質問したました。すると、談志師匠は、じつに機嫌よく、答えて下さるではありませんか。
こうして、談志師匠とぼくの二人っきりの桃源郷にいるような時間は、共有されたのです。
あのような濃密な時間は、なかなか持てるものではありません。