「吉野弘さん追悼」

 詩人の吉野弘さんが、88歳を目前にして、1月15日にお亡くなりになりました。
 吉野弘といえば、「祝婚歌」や「夕焼け」が有名ですが、昨日の朝日新聞夕刊で高槁順子さんは、「I was born」を挙げていました。
 その詩は、下記のとおりです。

 I was born
確か 英語を習い始めて間もない頃だ。

或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 青
い夕靄の奥から浮き出るように 白い女がこちらへやっ
てくる。物憂げに ゆっくりと。

 女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女
の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟
なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世
に生まれ出ることの不思議に打たれていた。

 女はゆき過ぎた。

 少年の思いは飛躍しやすい。 その時 僕は<生まれ
る>ということが まさしく<受身>である訳を ふと
諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。

        • やっぱり I was born なんだね----

父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返し
た。

        • I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は

生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね----
 その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。
僕の表情が単に無邪気として父の顔にうつり得たか。そ
れを察するには 僕はまだ余りに幼なかった。僕にとっ
てこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだか
ら。

 父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。

        • 蜉蝣という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬん

だそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくる
のかと そんな事がひどく気になった頃があってね----
 僕は父を見た。父は続けた。

        • 友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だと

いって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く
退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入
っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。と
ころが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっ
そりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目ま
ぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとま
で こみあげているように見えるのだ。淋しい 光りの
粒々だったね。私が友人の方を振り向いて<卵>という
と 彼も肯いて答えた。<せつなげだね>。そんなことが
あってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお
前を生み落としてすぐに死なれたのは----。

 父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひ
とつ痛みのように切なく 僕の脳裡に灼きついたものが
あった。

        • ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいで

いた白い僕の肉体----
  

 (作者註:「淋しい 光りの粒々だったね」は
  詩集「幻・方法」に再録のとき、「つめたい光の
粒々だったね」に改めました)