「まじめ化した大学生」
朝日新聞2月5日付けの教育欄に、『「まじめ化」するキャンパス』という記事がありましたが、たしかに、21世紀の学生は講義に、実によく出席します。
ライシャワー元駐日大使が、「貧弱な授業でほとんど勉強もせずに4年間大学生活を送る。日本のように能率追求に熱心な国にあっては信じられないような時間の浪費だ」と指摘したのが嘘のような出席率です。
ちなみに、ぼくは1977〜81年は文学部、2000〜2002年は経済学部、2005年以降は社会科学部に在籍する学生でもありますが、70年代後半の学生生活では、当時の立教文学部を代表する、故・前田愛教授も言っていましたが、「文学部の学生で授業に出るやつはバカだ」という、気風がありました。
ところが、今はどうでもいい講義は兎も角、コレという講義には、実に多くの学生が出席します。
ところで、1970年代学生生活を送って、碌に勉強をしなかった学生が社会で使い物にならず、いまの学生が社会で役立つのかというと、さて、どうでしょうか。
ここが、教育の難しさであり、面白さなのですね。