「鶴見俊輔『誇りという言葉』」

 1941年12月のこと、ハーヴァード大学哲学科に在籍するある日本人学生は、米国司法省移民局に呼び出され、今度の戦争をどう思うかと、問われた。

 彼は、「自分の信条は無政府主義だから、こうした帝国主義戦争ではどちらの国家も支持しない。ただし、連合国側と枢軸国側の戦争目的をくらべると、相対的に、連合国側のほうがやや正しいと思う」と答えた。(『日米交換船』新潮社)
 

 岩波書店が発行している『図書』の2006年3月号に、その学生=鶴見俊輔が、「誇りという言葉」というエッセイを寄せている。
 そのなかで、鶴見が米国マサチューセッツ州ケムブリッジ市に下宿していた時分、そこの女主人に「あなたを誇りに思う」(I am proud of you.)と言われていたと記している。

 ところが、三木武夫首相が総理の座を降りるとすぐに、鶴見の畏友、永井道雄が文相を直ちに辞めたときも、松本サリン事件で河野義行さんが、オウム真理教団に対して、破防法が適用されるのに反対したときも、いずれも、「あなたを誇りに思う」という言葉を言うことはなかった、と述懐している。

 なるほど、言葉は、すぐれて国民性に左右されると、再認識した次第です。