「映画『胡同(フートン)のひまわり』を観る」

 渋谷にある、Bunnkamuraル・シネマで、中国の若き名匠と称えられる、チャン・ヤン監督の、『胡同(フートン)のひまわり』を観てきました。

 この物語は、一言でいえば、父親がその役目を自ら終えて、自分のための新たなる人生を送る、けれど、その世界は生憎と、父が馴染んだ旧世界にしかなく、新しい時代には到底それを見つけることは出来ない、という、つまり、父が代表する旧世界の人間が、余りにもめまぐるしく変わる現世に別れを告げる物語、とぼくには思えました。

 映画の始まりは、1976年。
 中国にとって1976年とは、いうまでもなく、忌まわしい文化大革命が終わった年です。
 そのために、父親は6年間の強制作業を余儀なくされ、画家にとっては命に等しい、利き腕の右手を使いものにならなくさせられたのです。

 その父親が、息子を画家とさせるべく、厳しい画家修業を送らせます。
 この間のストーリー展開は、一分の隙もなく進められます。
 そうして、21世紀になり、息子は中国を代表する画家の地位を手に入れるのです。

 この映画をなによりも素晴らしいものにしているのは、監督自身が書いた脚本、主演の父親役を勤めるスン・ハイインの演技、そして、自身でピアノを弾くリン・ハイの音楽です。

 余りにも性急な進歩が、いかに多くの犠牲者を生み出すか、逆に言えば、多くの犠牲者を生み出すことによって進歩する現代、その時代相を描き出した『胡同(フートン)のひまわり』、秀作です。