「現代社会にフーコーが与えた影響〜“配慮”という言説を通じて」

《構成》
1、緒言
2、本文
3、跋文

1、緒言
 ミシェル・フーコーが自らを「社会学者」と名乗ったことは一度もない。むしろ、哲学者もしくは歴史家であると考えていたようだ。それにもかかわらず、今や社会学者によってもっとも多用される理論家の一人となったのは、彼の関心がつねに「現代社会がいかに構成されているか」という点に存していたからにほかならない。(注1)
 続けて渡辺彰規の言葉を、引用する。
 その分析の際に注目されたのが「言説」である。(『知の考古学』河出書房新社)。(中略)その時代にいわれたこと・書かれたことを、人間の意志を離れた何らかの規則によってコントロールされているような「言説」として把握し直すことで、まったく新たな視点から社会を分析することがめざされたのである(注2)。
 小稿は、“配慮”という言葉を、上記の「言説」の謂いとして捉え、フーコーはこれをどのように考えたかを検討したい。

 ミシェル・フーコーは〜休暇年度を得た1977年を除き〜1971年1月から1984年6月に他界するまで、コレージュ・ド・フランスで教鞭を執った。そこでの彼の担当講座は、「思考諸体系の歴史」であった。(注3)
 小稿においては、そのうちの1981−1982年度に行われた講義で、フーコーが「配慮」についてどのように考えたかのを検討する。

2、本文
 フーコーは上記「思考諸体系の歴史」において、当年度では、自己の解釈学という主題の形成過程をあてた。
 それは、たんにその理論的な表明において研究するのではなく、古典古代やその末期にきわめて大きな重要性をもっていた実践としての総体を関連づけながら、自己の解釈学という主題を分析したのである。
 ここでいう実践は、ギリシア語では、epimeleia heautou〔自己への“配慮”〕としばしば呼ばれるものに基づいている。
 「自己に配慮しなければならない」というこの原則は、今日の私たちの目には、〔汝自身を知れ〕という光があるために隠されてしまっている感がある。
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