「討ち入り&明治維新」
1702年12月14日は、赤穂浪士討ち入りの日でしたが、その日江戸は、は雪でした。
こう記すと、昨今の地球温暖化の向きを指摘したくなる方もいらっしゃるかもしれませんが、討ち入りの12月14日とは、いうまでも旧暦での12月14日でありまして、新暦に直すと、1703年1月31日に当たります。
1月の31日ならば、今でも東京での降雪は、さほど珍しいことではありません。
12月11日の朝日新聞夕刊に掲載された、山内昌之(東大教授)の小論文には、溜飲を下げられました。
そこに、このように記されていたのです。
“歴史の基本知識を学ばないと、国定教科書などで自国中心の歴史観を学んだ外国人を前に、正しい自己主張もできない人間は卑屈になるか、むやみに反発するか、いずれか両極端になりがちなのだ。”
“日本の研究教育が、流血の大惨事をひきおこしたフランス革命を評価しながら、最小の犠牲で内戦を終えた明治維新の限界を強調しがちだった不均衡”
ちなみに、日本で新暦が採用されたのは、明治5年12月3日のことでした。
その日が、新暦の明治6年1月1日となったのです。