「寄席出演の後は、国民健康保険運営協議会そして教養とは」

 今日も浅草演芸ホールに出演後、町田に取って返して、平成19年度第1回町田市国民健康保険運営協議会が開催され、同委員の私はそれに出席しました。

 それによると、現在、乳幼児の患者負担が2割で、その対象年齢は3歳未満ですが、少子化対策として、平成20年度からそれが6歳未満に変更される、ということです。

 「UP」2007年5月号に、松浦寿輝(東大教授〔蓮實重彦門下〕;芥川賞受賞)が、随筆『かつて授業は「体験」であった』を寄稿していますが、そこで教養についてこう記しています。
 “自分にはとうてい理解できないことが世の中に存在する(中略)ことを知ることこそ、教養にほかならない。”

 その例として、松浦は、東大の学生時代履修した、ギリシア哲学の井上忠教授の講義をこう記している。
 “この人の発する言葉一つ一つの背後に、恐ろしいほどの知的労力と時間の蓄積が潜んでおり、膨大な文化的記憶の層が畳みこまれていることもわかる。だが、哀しい哉、無知と無学のゆえに、わたしにはその内容を具体的に理解することができない。”

 ぼくにとっては、キリスト教学科時代に受講した、小田垣雅也先生の講義「人間と宗教」⇒http://www.ranjo.jp/link/index.htmがそうでした。
 先生のおっしゃっていることがほとんど理解不能で、ノートを取ることさえも出来ませんでした。
 それは、日本語を聞いているのに理解できない、という稀有な体験でした。
 こうしてぼくは、学問の洗礼を鮮烈に受けたのでした。