「鶴見俊輔の文章」

 鶴見俊輔の文章は、難しいわけではありませんが、どうも、よく分からないことが往々にしてあるのです。
 これは、鶴見が米国で知的修養を重ねたからではないか、と思うようになりました。
 つまり、鶴見の文章には、日本人の匂いがないのです。
 だから、日本人らしい文章ではないのです。
 それが、好いとか悪いとか、いうのではありませんが、兎に角、日本人には腑に落ちる文章ではない、という印象を与えます。