「小松美彦教授の講演内容」
昨日書けなかった小松先生の講演内容ですが、一言でいえば、脳死移植には絶対に小松先生は反対する、ということです。
その理由を当然、小松先生は縷々お話をされたのですが、ごく簡単にまとめると下記にようになるかと、思います。
1、脳死はそもそも人の死ではない。e.g.脳死と判定された後、21年も行き続けた例もある。
2、移植を受けないと死んでしまうといわれた方は、そのまま移植をしなくても、移植をしても9ヵ月後の生存率は、ほぼ同じという統計結果がある。
3、移植をするということは、移植をする臓器の提供者がいる、ということ。その提供者は本当に、死が認定されてから臓器を取り出されているのか。
まだ、ほかにも理由がありましたが、大事なものは、上記のものだったと思います。
なによりも、小松先生の、脳死移植は世界中のすべての人が賛成しても、私は断乎一人で反対し続ける、というその迫力に圧倒された講演でした。
そもそもぼくは脳死移植には、賛成の立場を取っていました。下記の日記(mixi2005年7月28日掲載)が、その証拠です。
ところが、小松先生の講演を聴いて、その立場を変えようかと、悩んでいるところです。
朝日新聞の夕刊に「脳死移植の8年」と題する連載記事がありますが、本日(7月28日)掲載された第4回の記事を読んで、ぼくは臓器提供に同意したお父さんの言葉に、感動しました。
父親が知らぬ間に娘が生前記入した、臓器提供の「意思表示カード」を前に、懊悩した結果、家族はそれを受け入れ、脳死した娘の希望を叶えるために、心臓、肺、肝臓、腎臓を7人の方々に託されました。
そのお父様は、医師やコーディネーターに「本当にいいんですか」と念を押されると、「○○(娘さんのお名前)という『宝石箱』から、宝石が散って、移植された方の中で輝くのなら、ぜひ」と答える場面がありました。
お父様のこの表現が素晴らしいのはもとより、このように他人のために内臓を捧げるという、その人道的な行為にあって、人は粛然とし、それを尊いものと讃えるのは、ぼくは、至極当然のことと思い、かつまたそこに、崇高なものを感じてしまったので、こうして日記にかたちとして残したいと思ったのです。