「母校、町田第四小学校創立50周年記念式典」

 ぼくは、自分をそれほど涙もろいとは、思っていませんでした。
 たしかに、「ニューシネマパラダイス」を見たときは、かなり泣いたものですが、あれは、あくまでも、作品ですからね。
 泣くのは、いわば当たり前です。

 さて今日は、ぼくの母校、東京都町田市立町田第四小学校の創立50周年『記念式典』と『祝賀会』があり、それぞれに出席してきました。

 開会の言葉により記念式典が始まり、国歌斉唱、校長挨拶、来賓祝辞、来賓紹介と、整然と式は進行していきました。
 校歌斉唱となり、ぼくは1971年に小学校を卒業しましたから、それ以来となる、34年ぶりに母校の校歌を歌っているときです。

 思いもかけず、涙が溢れてきてしまったのでした。
 これには、困った。
 周囲で誰かが泣いていればまだしも、46歳にもなった大人が、小学校の校歌で泣いているなんて、しかも、一人だけで、泣いているなんて、これは困るのです。

 幸いにも、どなたにも気がつかれずに済みましたが、まさか、母校の校歌を聞いて泣いてしまうとは、予想すらできないことでした。
 たしかに、若林牧春作詞、平井康三郎作曲のわが母校の校歌は素晴らしいものです、思いもかけずといっても好いほどに、素晴らしいものでした。
 でも、それだけで泣いたわけでは、もちろんありません。
 なぜならば、ぼくは在校していた6年間、校歌を歌ってただの一度も、泣いたことがないからです。
 ただ、校歌が素晴らしいから泣いたのならば、6年間、始終泣き続けなければなりませんが、一度も泣いたことはないのにもかかわらず、今回、34年ぶりに歌って、ぼくは、生まれて初めて、歌を歌って泣くことになったのです。

 してみると、ぼくの小学校生活は、なかなかに好かったのでしょう。
 つまり、ぼくは校歌を歌うことで、6歳から12歳までの、old good daysを懐かしみ、それに郷愁を覚え、不覚にも、涙が出たのではないか、ぼくはそう思うのです。

 校歌を始め、50周年記念の歌「変わるがわる景色」を収めたCDが参加者に配られ、それを聞きながら、実は今、この文章を打っているのです。
 そして、また、泣いている。