「まちだ市民大学HATS『町田の郷土史Ⅱ』」

 今日は、『町田の郷土史Ⅱ』の第5回講義がありました。
 『町田の郷土史Ⅱ』では、明治以降の町田市の歴史を扱っています。
 今回は、「理想を求めた若者たち」と題し、明治から大正にかけての青年運動について、町田市野津田町にある“町田市立自由民権資料館”の学芸員が講義してくださいました。

 町田の明治期において、忘れてはならない人物に、石阪昌孝がいました。
 石阪は、野津田町に生まれ、明治初年には、戸長・区長などに就任し、明治12年には、初代の神奈川県議会議長(明治26年東京府に移管されるまでは、多摩地域は神奈川県の一部でした)に就任し、その後、衆議院議員群馬県知事を勤めますが、なんといっても、長女美那が北村透谷と結婚したことで、近代文学史にも、透谷の義父ということで、登場します。

 また、自由民権運動の盛んな地域として、自由党の党員数において、神奈川県は、秋田県、栃木県に次いで、第3位の地位を占めていました。

 つまり、町田市は近代の黎明期において、特に、自由民権運動では、そのフロントランナーの位置を担っていたことが、この講座を通じてよく分かったのでした。