「まちだ市民大学 町田の郷土史Ⅱ」修了
本日をもって「町田の郷土史Ⅱ−明治から現代まで」が終了し、無事、らん丈は修了することができました。
本講座は文字通り、明治から現代に至る町田市を概観したもので、全12回にわたる講座でした。
町田には、町田市立自由民権資料館があるほどですから、自由民権運動では、重要な地域として余りにも有名であり、その際、石阪昌孝の存在は、逸すべからざるものとして、町田市民ならば、是非知っておかなければいけません。
石阪は、そもそも幕末期、新撰組に呼応した人物であり、その後、政界に身を投じ、当時は神奈川県に属していた町田から、初代の神奈川県議会議長に選出されました。
1890年に開設された国会では、早速国会議員に選出され4期勤めました。
その後、石阪は群馬県知事に抜擢されましたが、その娘、美那と結婚したのが北村透谷でしたから、明治文学史においても、決して忘れてはならない人物です。
町田はその後、昭和33年に、町田町、鶴川村、忠生村、境村の1町3村が合併して、町田市となったのですが、昭和40年代は、団地の町として東京のベッドタウン化し、発展していきました。
さて、今の町田市を一言で言い表すとなると、どうなるでしょうか。
若者が買い物に集う街、とでも形容されるのでしょうか。