「井上ひさしの新作『夢の痂(かさぶた)』」

 井上ひさしさんの、「東京裁判3部作」の完結編、『夢の痂』が、新国立劇場小劇場にて上演されています。

 ぼくは未見ですが、朝日新聞の報道(7月5日)によると、この芝居では、被告は日本語文法、となっているそうです。

 「日本語は主語を隠し、ごまかす。責任をあいまいにするにはとても便利な言葉」と、井上は言う。

 「『私』の代わりに主語になっているのは『状況』。あの時はああいう状況だったから、今はこういう状況だから、とコロッと切り替える。大変だったね、まあ過ぎたことは水に流して、はい次は民主主義―こんなことができたのは日本人だけです」
 「サッカーだって、何で負けたのか考えるのはもうやめて『さあオシムだ』でしょう。でもことが戦争となれば、そんな風に済ませるわけにはいかない。なぜ負けたのか、誰に責任があるのか、自分にもその(責任の)一端があるんじゃないか。60年たってもしつこくぐずぐず言う人がいなければ、と思ってこの3部作を書いた。無責任で卑怯な民族には、なりたくないですから」

 井上ひさし、らしいですね。