「『はせがわくんきらいや』を読んで」
昨日、まちだ献血ルームにて108回目の献血をする前に時間があったので、備え付けの新聞(毎日新聞)を読んでいたら、児童文学の傑作として誉れ高い『はせわがわくんきらいや』の書評がありました。⇒http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/news/20060920ddm015070189000c.html
それを読んだところ、無性に同書を読みたくなり、図書館で慌てて借り出し、早速読みました。
その感想を、らん丈のHP「らん読日記」http://www.ranjo.jp/cgis/randoku/index.htmlに掲載しましたが、短いので、ここに再掲載させていただきます。
長谷川集平作『はせがわくんきらいや』
この本は、佐野洋子の『百万回生きたねこ』とともに、現代日本を代表する、絵本です。
したがって、すでに本書をお読みになった方は、多数いらっしゃるでしょう。
けれど、いいえまだ読んでいないという方がいらっしゃったら、今すぐ本屋さん、または図書館に行って、本書をお読みになることを、強くお奨めします。
なに、ほんの5分もあれば、読み終えてしまいますから、先ずは本書を手にお取りください。
手に取ったあなたは、その特異な絵に驚かれ、本を読み進むうちに、どんどん本に引き込まれ、読み終えた後、あまりに重く、そして深い思いに囚われている自分を見出すことになるでしょう。
本書の背景は、昭和30年森永乳業徳島工場で製造されたドライミルクに含まれていたヒ素によって、2万人以上の乳児が身体に甚大な影響を及ぼされた、森永ヒ素事件です。
この事件では、昭和32年当時、125名の乳児が死亡してしまったのです。
“ぼくははせがわくんが、きらいです。はせがわくんと、いたら、おもしろくないです。なにしてもへたやし、かっこわるいです。はなたらすし、はあ、がたがたやし、てえとあしひよろひよろやし、めえどこむいとんかわからん。”
はせがわくんは、ヒ素のために、こんな身体になってしまったのです。
そのははせがわくんを、本書の独白者は、上記のように、はっきりと、きらい、というのです。
身体にしょうがいを負った方に、このような物言いをするのです。
そこが、新鮮でした。
なるほど、子どもはこう思うのが、むしろ、自然なのかもしれません。
けれど、そのきらいなはせがわくんを独白者は、どうしても、無視することはできないのです。
それどころか、きらい、きらい、と言いながら、独白者は、いつしか、はせがわくんを至上の存在として、受容するのです。
ぼくは、本書を読んで、いつしか遠藤周作が描いたイエス像とはせがわくんをオーバーラップさせていました。
そこでは、弱い存在、社会的に虐げられた者が実は、遂には神になるという、逆接が物語として提示されているのです。
この『はわがわくんきらいや』は、作品としてこの世に生まれたそのときから、すでにして古典の地位を与えられた、紛う方無き傑作です。