「今日は、町田市議会表決の日」

 今日は、町田市議会平成21年第4回定例会の表決の日です。
 では、表決とはどのようなもので、それは、なにを基準になされるのでしょうか。
 ぼくの場合は、下記の通りです。
 なお、小稿は、ぼくの市政報告『はるかぜ』によります。

 『表決の基準』  三遊亭らん丈
 表題の「表決」を、広辞苑であたるとつぎのとおりです。
 「議案に対する可否の意思を表示すること。」
 おなじ「表決」を、有斐閣の『法律学小事典』では、「合議体の構成員が、その審議の対象である一定の問題について、賛否の意思を表明する行為を表決とい」うと記載しています。

 いずれにしろ「表決」は、市議会の各定例会最終日に設定された、議員にとっては最も重要とされる行動です。

 それを英語ではwhipと表現し、名詞では「登院命令」を意味し、田村正勝(早大)教授は、「議会制民主主義は結局のところ多数決主義にほかならないから、どの政党も「登院命令(whip)」の制度を採用している」と、その著『社会科学原論講義』(早稲田大学出版部)で記しているところです。

 ちなみにwhipとは、動詞では「むちで打たれる」という意味ですから、議員は、表決の際「むちを打たれながら」議場に参集させられるほど、表決は重要なのです。

 では、議案に対する表決をわたしはどのように決めているのかといえば、ジャン・ジャック・ルソーの「一般意志」によっているのです。
 では、「一般意志」とはどんなものでしょうか。ルソーの『社会契約論』(井上幸治訳)によれば、その「第4編第1章一般意志は破壊することができない」につぎのように記されています。
 「採決に際しても、もはや全員の一致が支配することはなく、一般意志は、もはや全体意志ではない。意見の対立と議論が起こり、最良の意見といえども、論争をへないでは通らなくなる。」「一般意志は、常に変わらず、純粋である。しかし、この場合、一般意志は、それに打ちかつ他の意志に従属しているのである。」

 すこしわかりにくい説明ですので、ふたたび田村教授の『社会科学原論講義』にあたると、そこにはつぎのように記されています。
 「自由討論を通じておのずと均衡価格ならぬ、市民が従うべき「適正な意志」すなわちルソーの説いた「一般意志」が明らかとなるという原理である。」「では(略)一般意志とは何か。これは各人の私的な「個別意志」ではないことはいうまでもないが、それらの多数の意志や、それらの意志の総和である「全体意志」でもなく、つねに共通利益を目指す全員共通の意志である。それは、社会の構成員の個別意志を超越した「普遍的は社会」が実体として存在することを前提とし、その普遍的な社会がもつべきだと思われる意志である。要するに個人的な意志や全体意志を超越した、先験的な存在論的意志にほかならない。」

 このような「一般意志」を考えて、わたしは「表決」にあたってそれを表明するのです。