「北村透谷と町田」

 平成のいま、北村透谷といっても、知っている方は多くはないでしょう。
 京都大学大学院文学研究科のHPでは、次のように紹介されています。
「「恋愛は人世の秘鑰なり、恋愛ありて後人世あり」(「厭世詩家と女性」)の言は島崎藤村はじめ多くの若者を驚嘆させ、またひきつけた。同じ頃キリスト教に入信。明治22年『楚囚之詩』を発表。これは透谷の最初の作品であるとともに日本近代詩の最初の作品として後世に評されている。」

 「恋愛は人世の秘鑰なり、恋愛ありて後人世あり」と記した透谷の結婚相手は、現在の町田市域に生まれ育った、民権家石阪昌孝の長女、美那でした。⇒http://www.city.machida.tokyo.jp/bunka/bunka_geijutsu/cul/cul03/syoukai.html