「日本人の記憶の短さ」

 昨日(9月6日)の朝日新聞夕刊文化欄で、編集委員の清水克雄が面白い指摘をしていました。以下に、筆者が面白いと思った箇所を抜き書きします。

 “人間を取り巻く時間が薄っぺらになった。”
 “時間の厚みがなくなったために、「いま」という時だけが重要なものになった。”

 こうした現象を、歴史学者アラン・コルバンは「時間の平面化」と呼んでいる。
 思想家のポール・ヴィリリオは、遠く離れた場所を瞬時に結ぶテクノロジーは「凝縮された現在」を肥大化させると早くから指摘してきた。

 一々、なるほど、と納得したのですが、ちょうど、『図書』(岩波書店)の9月号で、鶴見俊輔が「夏休みが終わって」というエッセイで、その理由を、日本の大学、広くは学校制度にまで遡って、検証しています。

 “それは、明治6年に全国で始まった学校制度は、1、先生が問題を出す、2、その正しい答えとは、先生の出す答えだ、という前提にたっており、(中略)もし大学まで進むとして、18年、自分で問題をつくることなく過ぎると、問題とは与えられるもの、その答えは、先生が知っているもの、という習慣が日本の知識人の性格となる。
 しかも、先生は1学年ごとにかわる。ということは、中学校、高等学校、大学と、そこで新しく出会う先生の答えをいちはやく察知して答案を書くことが、知識人の習慣となる。
 こうして、転向を不思議としないことが、明治以来の日本の知識人の性格の一部となる。”

 “日本の大学は、日本の国家ができてから国家がつくったもので、国家が決めたことを正当化する傾向を共有し、世界各国の大学もまたそのようにつくられて、世界の知識人は日本とおなじ性格をもつ、と信じている。しかし、そうではない。若い国家であるアメリカ合衆国においても、ハーヴァード大学は1636年創立、アメリカ合衆国の建国は1776年で、そのあいだしばらくの年月は、米国の知識人の性格に影響を与えてきた。”

 何れにしろ、鶴見が同エッセイで以下のように記しています。
“1945年の夏休みを終えて、新学期に、生徒と久しぶりに対面した教師たちは、全国各地の小学校、中学校、高等学校、大学で、いくらかばつの悪い経験をした。夏休み前の自分の続けてきた話と続きににくい話を、ここでしなければならないからだった。”

 教師は、さぞやばつが悪かったでしょうが、早速彼や彼女は、夏休み前に皇国を礼賛したように、臆面もなく民主主義を礼賛したのでした。