「議場はどんなところなのか」

 ぼくはカトリックなので、教会の聖堂は神聖な場所であり、そこでおしゃべりに興じてはいけない、ぐらいのことは知っていますし、また、それを許さない雰囲気が聖堂にはあるのです。

 あるいは、落語家にとって寄席の高座は、まさしく修業の場です。

 さて、議会における議場とはどんなところなのでしょうか。
 自民党は、先の総選挙において大量の新人議員を誕生させたわけです。たとえば、“棚からぼた餅”の杉村太蔵議員もそのひとりですが、「部会って、国会の委員会とどう違うのですか」と訊く議員は過去には、いなかったというのです。
 そんな議員に頭を悩ませるぐらいならば、始めから公認しなければいいのに、公認したからには、その政党=自民党はしっかりと新人教育に励んでいただきたいものです。

 すると、ヘンなことをいう人がいるのです。「議場で名刺交換をしないように。議場は神聖なところだ」と(スキャンダルで官房長官を辞めた)中川秀直国会対策委員長は苦言を呈したそうですが、そうですか。あの野次は、“神聖なところ”と認識したうえで、発していたのですか。それはちっとも存じませんでした。
 “神聖なところ”で、聴くに堪えないような野次を発する議員が、次回の総選挙に立候補したら、私はその立候補者には絶対に投票しません。

なぜならば、議場とは野次を発するところではなく、議論を交わすところだからです。