「阿南陸相という軍人」

 読売新聞は太平洋戦争という名称を使わず、2006年8月13日を期して、「昭和戦争」という呼称を使うそうです。

 「E電」の二の舞となりそうな言葉ですが、ぼくはその呼称を使うつもりはありません。

 61年前の今日、日本は太平洋戦争において、負けました。
 その6日前の8月9日、長崎に原爆が落とされた晩の御前会議において、阿南陸相は、「この際は宜しく死中に活を求むる気魄を以て、本土決戦に邁進するを適當と信ずる」と説いたそうです。

 結局8月15日、阿南陸相は自決するのですが、上記の言辞から導かれるのは、陸相は自分さえ死ねば、日本人が何人死のうが責任を免れることができると考えていた節があることです。
 だからこそ、上記のような言辞を吐いたのでしょう。

 上記のような言辞を吐く軍人はなにも、帝国陸軍ばかりではなく、万国共通のことなのでしょうか。
 それとも帝国陸軍に特に見出される現象なのでしょうか。

 「特攻」を企図した大西滝治郎とともに、今日の我々からは、到底思いもつかないことを口に出す軍人が多かった日本軍でした。