「政治家の質」

 昨年12月上旬、安倍首相は新宿区の小学校を訪れ、児童らと一緒に給食を食べたそうです。
 献立は、わかめご飯とカジキの照り焼き。「量が思いのほか多かったんで少し苦労しましたけれど、全部食べました」とのコメントを首相は、残しています。
 そのときの動画が1週間後、政府のインターネットテレビ「ライブ・トーク官邸」にアップされると、視聴数は過去最高を記録したそうです。

 ところが、話題が官僚調になると、アクセス数はてきめんに落ちるのだそうです。
 つまり、飯を食べると、視聴数は上がり、政策を語ると視聴数が落ちるのが、「ライブ・トーク官邸」の実態なのです。

 これは、どうしたことでしょうか。
 市民は、首相の政策よりも、首相がどんな食事を摂っているのか、そちらの方に、より強い関心を抱いているのでしょうか。

 このような報道に接すると、『政治家よ−「不信」を越える道はある』(朝日新聞社刊)での結論が、頭に蘇ってきます。
 同書によれば、「日本という社会は『政治家』をほんとうは大事にしてこなかった」という反省の弁を、結論にしていたのです。

 また、同書ではこんな指摘もしています。
 「理想に燃えて、大きなリスクを承知の上で政治の世界に飛び込んでも、それを評価してくれる人は、ほとんどいない」