「正義の危うさ」

 たとえば、阿川弘之が『大人の見識』(新潮社)で記していますし、小池龍之介が『沈黙入門』(幻冬舎)で記しているそうです。
 それは、正義で相手を論破することは、正義をとなえる者にとっては爽快でしょうが、禍根を残すのではないでしょうか、ということです。

 ぼくは、最近特にそう思うのです。
 それは、正義の危うさとでもいうのでしょうか。
 正義だけれど、さはさりながら、というところはありませんか。